• Kazuma Y.

李信の子孫が中華統一!?②


 ※出来れば書籍を購入してからお読み頂けると、出版社に失礼がないと思います。



<北魏統一までの時代背景>


3~4世紀に、北方や西方から中国に移住した氏族が、匈奴・鮮卑・羯・氐・羌。この5勢力がしのぎを削った時代が五胡十六国時代と呼ばれています。


この群雄割拠の時代を終わらせたのが、拓跋珪こと道武帝です。北魏を建国するわけですね。前回の記事をご参照ください。


で、これも戦国春秋時代同様、民族紛争だったと思っています。古代イスラエルの、失われた10氏族(枝分かれしたマナセ、エフライムを入れて12氏族)についての、画像を載せておきます。


<失われた10氏族の潮流>


例えば五胡十六国時代の羌族。イスラエルの調査機関アミシャーブのDNA調査により、羌族は代表的なマナセ族の末裔だと断定されました。拓跋部は、漢民族を重用して巨大な戦力を作ったとされていますから、漢民族vs異民族の覇権争いだったんですね。つまり、古代イスラエルの民は、中国という巨大な領土を狙っていたと思います。


中国は異民族と漢族の、異民族と異民族の、奪い合いの歴史なんです。


下記は、本当に端折って登場人物を書きますね。


・始皇帝…古代イスラエル人(古代ユダヤ人)として、中華を史上初めて統一

・呂不韋…始皇帝の父親とされる、古代イスラエル人(ユダヤ商人)

・李信…秦に使えた漢民族(秦は異民族と漢民族を分け隔てなく重用した)

・劉邦…漢民族、始皇帝を倒し漢民族初の統一国=前漢を建国

・李超…李信の息子で、劉邦に仕えて前漢を建国に尽力した大将軍

・拓跋珪(道武帝)…李信の子孫で、漢民族として北魏を建国


なんとなく、流れが見えてくると思います。


漢民族vs古代イスラエル人の、民族紛争。そこに様々な民族が絡み合い、複雑な国家を形成していきます。「奪わなければ奪われる」という性根が、ここに醸成され、日本人には到底理解出来るはずもない、国内統治の形があるわけです。


そして、唐を建国する李淵。彼は、鮮卑系の李氏と言われているので、流れで言えば拓跋珪(道武帝)の血筋なのかな…と思いましたが、家系図を見るとその前に枝分かれしています。


<李信の家系図>


上段の流れが拓跋部(北魏)、下段の流れが李淵(唐)になってます。鮮卑系に行く手前、李広の子供のところから枝分かれしてますよね。


私は、拓跋部(北魏)民族と、漢民族の融合軍が出来たのは、李広のところから枝分かれした後も、李氏が各地で各々の勢力を保っていたからだと思っています。李信がルァァァァァ!と叫びながら駆けずり回った大国に、脈々と流れ続ける李氏の血脈。


歴史とはロマンですね。また機会があれば、さらに李氏の栄光を辿ってみたいと思います。驚くかもしれませんが、日本にもその痕跡があるんですよ。



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