
Kazuma Y.
隠された呂不韋の氏族①
更新日:2020年4月4日
日本において、秦の丞相・呂不韋にスポットライトが当てられたのは、なんと言っても漫画キングダムによるところが大きいでしょう。

(漫画「キングダム」より引用)
このふてぶてしい呂不韋という人間は、通説では下記のような経歴で語られています(ネタバレにご注意)。
・子楚(後の秦の荘襄王)に「投資」した
・その際の格言「奇貨居くべし」
・巨額の富を築いていた
・呂氏春秋を編纂した
・子楚に趙姫(ちょうき)を妻として与えた
・子楚夫人となった後も趙姫と関係を続けた
・趙姫との関係継続、ロウアイ(偽装宦官)がバレて免職
・最後は服毒自殺
まとめると、超金持ちで「人を見る目」があり「人に投資」した傑物だったのです。
がしかし、その生涯は謎に包まれていまして、出生年などの出自も良く分かっていません。「史記」をまとめた司馬遷からは、酷評される有り様なのです。
私は、そこまで酷評されるのには逆に不都合が理由があると考えてしまいます。そこで、この呂不韋という人物を少し掘り下げてみたいと考えました。いつもの通り、史実とは異なる見解や妄想が含まれますので、あくまでも私見ということで読んでください。
まず、呂不韋は恐らく紀元前265年頃に生まれたと推定すると、ざっくり彼の生涯はこんな感じになります。(諸説あります)
紀元前290年 0歳 濮陽(現在の河南省濮陽県)に生まれる
紀元前265年 25歳 呂公が生まれる
紀元前259年 31歳 嬴政(後の始皇帝)が生まれる
紀元前249年 41歳 荘襄王元年、相国となる
紀元前236年 54歳 蜀に流刑
紀元前235年 55歳 死去
ここから先は、嬴政は呂不韋の子どもだったという仮説と、呂公も呂不韋の子どもだったという仮説をもとに進めていきます。
呂公って誰?と思われる方も多いはずですが、次回以降お話していきます。
※尚、本サイトに記載の内容は本サイトの所有者に属します。
※本サイトの転載・複製・商用利用等の二次利用は厳禁とします。
※発覚した場合には法的措置を取らせて頂きます。