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隠された呂不韋の氏族②

最終更新: 4月5日

【ご参照】前回の記事はこちら↓

隠された呂不韋の氏族①


前回は、呂不韋という人物のざっくりとした生涯年表を書いてみました。彼には少なくとも子どもが2人いたという仮説です。


1人は皆さんご存知の嬴政。そう、後に秦の始皇帝になる人です。


もう1人は呂公。聞いたことがない人がいるかもしれません。呂公の娘は呂雉と言います。これは史実です。呂雉が嫁いだのが、あの前漢の始祖である劉邦です。


まず呂公とはどんな人物なのか。彼は単父(現在の山東省単県)に生まれました。呂不韋と同様、生年不詳です。まぁ、隠されているわけです。ここは呂不韋が生まれた濮陽の東南に位置しています。


私は呂不韋が、ある時期に籍を斉国(現在の山東省)に移したか、または「史記」で呂不韋の出身地が偽装されていると考えています。


なぜかと言うと…少し歴史をさかのぼります。



呂不韋が生まれる前の春秋時代、この山東省で繁栄した強国がありました。姜斉(きょうせい)という国です。後に斉が興る場所ですね(地図参照)。この姜斉の国姓が…姜姓呂氏です。中国語読みで、姜はJiang(ジャン)です。


私は呂不韋が羌族だと思っています。羌族はアブラハムの子孫で、失われた10氏族の1つなのです(機会があれば書きます)。


羌族の羌は、中国語読みでQiang(チャン)です。日本語読みでは姜も羌も「きょう」と読みます。そして、この姜斉を建国したのが、呂尚(太公望)と言います。つまり、呂氏=羌族が興した国が姜斉であり、その場所が山東省なのです。


この呂尚(太公望)も、出自と経歴は謎です。隠されています。呂不韋や呂公と一緒ですね。呂尚の一族の本姓は姜、つまり羌族の羌。その氏族が河南省の呂という地に移住したことから、その土地名にちなんで呂尚は呂姓を名乗るようになったと史実は伝えています。河南省…これは呂不韋が「生まれた」土地なんです。河南省濮陽と斉は、目と鼻の先です。



余談ですが、呂尚は『六韜』と『三略』を残し、呂不韋は『呂氏春秋』を残しました。呂氏に代々伝えてきた「虎の巻」だったのでしょうね。


まとめると…チャン族(羌族)が興した国が山東省の姜斉であり、その始祖が呂尚という呂氏なのです。その呂尚の末裔が、呂不韋。呂不韋が、呂氏の勢力が蔓延る地である山東省で産み、育てた子が、呂公なる人物なのです。


かなり深い歴史を突っ込んでます。では次回、呂公とその娘である呂雉を掘り下げたいと思います。


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